住職レター H31年3月号

 3月、大きい子どもたちが帰省している間に、留守を任せて、熊本に行ってまいりました。まず最初に訪れたのは修行中に半年ほどお世話になったことのある、菊池市の聖護寺です。ここは今では曹洞宗国際禅道場として使用されていて、普段は無住です。当時、私が修行していた愛媛県の瑞應寺の堂長をされていた楢崎一光老師が復興に力を入れておられ、随時数名の瑞應寺の修行僧が派遣されておりました。
 聖護寺は一時は九州一円にも力を及ぼしていた戦国時代の武将である菊池一族が護っていました。菊池城からみて鬼門の位置に当たる丑寅の方角の山の中にあり、菊池一族の心の拠り所となっていた寺です。その後廃寺となっていたのですが曹洞宗の寺院として復興されました。現在、電気は来ていますが、私がいた頃には電気もガス通っておらず、水道は山水を引いておりました。果たして車で行き着くのか心配しましたが、ナビが迷子になるほどの秘境ではありましたが、何とか通れる車道が整備されていました。それでも対向車が来ればかわすことは出来ない道で、山側でない方はガードレールもない崖でした。
 三十年振りに見る聖護寺はかなり整備されている印象でした。参道には新しい山門が建ち、以前は無かった座禅堂なども建てられていました。
 寺から少し離れた場所に鎮守の杜という石碑があり、そこだけぽつんと森になっています。その中には30数基の五輪の塔が祀られていました。ここは比丘尼の杜(びくにのもり)と呼ばれ、ここに尼寺があったことを示しています。戦後、寺の周りは軒並み田畑として開墾されていきました。しかしこの杜の周りだけは、手をつけようとした人がことごとく怪我をしたり、不幸に見舞われたことから、墓をきちんと祀り、手つかずの杜として残されたと伝わっています。
 聖護寺にお参りした後は、噴火レベルの上がった阿蘇山をぐるりと囲むように、黒川温泉、やまなみハイウエイ、高千穂峡、高千穂神社とドライブして、地滑りがまだ整備されていない山肌や陥落したまま復興していない阿蘇大橋などを見ながら最終目的地の熊本城に向かいました。熊本もまだまだ復興途中であることを目の当たりにしました。熊本城もまだ本丸へは行けませんが、加藤神社から修理中の城を見てまいりました。彼岸前の多忙な時期でしたが、子どもたちのお陰で長年の念願が叶い、ありがたいことでした。








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