住職レター H30年8月号

 平成三十年七月豪雨と命名された豪雨の爪痕も、まだ各地に残っている中、連日猛暑が続いた夏でした。
 あの豪雨のほんの数日前、布教師養成所で共に学んだ仲間達と、年に一度七夕の頃に集って現地研修と法話を学ぶ会「七夕会」の研修で福島第一原子力発電所を訪れてきました。原発関係者かそれに関連する方の紹介が無ければ許可の下りない場所ですが、福島の御寺院様のご尽力でこの度の視察が実現しました。
 福島駅から東電の旧エネルギーセンターへ向かうバスの車窓からはのどかな山村の風景が広がっていました。ですが、よく見ると、草が刈られて耕してあるだけで、多くの土地では何も作物は植えられていませんでした。原野にならぬよう手入れをしているだけのようです。それも原発に近づくにつれ草木は伸び放題、フェンスの奥に黒い袋が山積みの風景に変わります。
 エネルギーセンター到着後は、東電のバスにて原発内の復旧作業の視察をさせていただきました。現在、敷地内は除染とフェーシング(モルタル)作業により、ほぼすべての地面は遮断されているため想像以上に線量は低かったです。今でも毎日約千人の原発従事者が作業に携わっておられます。しかし現場である建屋の巨大さは、今後も長く続くであろう苦難を感じさせるものでした。
 視察後、南相馬で暮らしている曹洞宗僧侶の方にお話を聞かせていただきました。事故後、地元を離れた時期もあったそうですが、現在はいわき市に住居を構えられ、毎日数時間かけて地元と往復されているそうです。四人の子どもの親という立場と、住職という立場からの意見を聞かせていただきました。地面に座ることや、たき火をすることなど、そんな日常が被爆につながるのだそうです。全て受け入れてなお故郷で生きていくことの苦しさや、親としての葛藤は聞くだけで辛いものでした。それでも、未来に向けて、皆さん懸命に活動されておられ、その姿には心打たれました。
 奇しくもその数日後、私の住む倉敷市が被災地と呼ばれるました。復旧復興に向け、無理をせず、助け合いながら、ほんの少しずつでも前に進んで行きましょう。








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