8月は写経の会、坐禅の会はお休み させていただきます。
住職レター H24年7月号

 阪東秩父霊場巡礼が一般に広まったのは室町時代からと伝えられますが、江戸時代の中期に関東の人々が苦難の多い箱根の関所を越えずに済む秩父地方の寺院にお参りしたのが始まりで西国33か所、阪東33か所、秩父34か所と合わせて日本百観音参りといいます。
 海徳寺に安置されているのは坂東33観音、秩父34観音で、円通寺の西国33観音と合わせ百観音となります。この観音道は伝記によりますと、当山十三世即法玄中大和尚が関東から海徳寺に迎えられた際、信者の寄附と土地有志の協力を得て、嘉永4年(1851年)9月に完成しました。
 特に目をひきますのは海徳寺の西側の山の秩父34観音にある縦横数メートルの巨岩面に彫られた磨崖仏です。全部で4体あり、北面が18番・白道山神門寺の聖観音像と19番・飛淵山竜石寺の千手観音像、西面が20番・法王山岩上寺の聖観音像、東面が22番・華台山童子堂の聖観音像です。
 以前は毎月18日に観音の日として、大勢の方がお参りして下さっていました。この磨崖仏の安置されておりますところは、玉島港、源平水島合戦古戦場跡、乙島E地区、水島臨海工業地帯、さらには遠方に瀬戸内海の海や島々まで見渡せる大変眺望の良い場所で、半世紀ほど前には、ここで地域の方が餅つきなどして観音の日を祝っていたと聞いております。いまでも大きな石うすが2個残されており、使われていないのが惜しいものだと思うのです。
 観音保存会は解散しましたが、今でも地域の有志の方々が定期的に手入れして下さっているお蔭で、めったに人の訪れないこの観音霊場が荒れ放題にならないですんでおります。
 それと同時にこの壮大な磨崖仏をもっと多くの方に見て頂ければと切に願います。






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