住職レター 令和7年1月号
新しい年を迎えました。今年は乙巳(きのとみ)の年です。ヘビというと、見た目の不気味さから忌み嫌われることも多いのですが、脱皮を繰り返す姿が新生・成長・変化の象徴とされ、新しく生まれ変わるチャンスの年といえます。さらに金運、財運、幸運、健康を呼び込み、環境のよりよい変化を招くとされています。
過去の乙巳の年を調べてみますと、古くは645年。この年は大化の改新が始まり、中大兄皇子と大海人皇子という、若い力が新しい政治体制を作り出しました。
次に、1185年は平家が壇ノ浦で敗れた年です。祇園精舎の鐘の声…で始まる平家物語ですが、貴族政治に終わりをつげ、武家社会が始まりました。また、1605年は徳川家康が家督を息子の秀忠に譲った年であり、1905年は日露戦争が終わった年です。偶然かもしれませんが、過去の乙巳の年には生まれ変わるといえる政治の出来事が重なったようです。
年明けて間もなく、家族の用事で大阪に行きました。用を済ませた後で、日本仏法最初の官寺である、和宗総本山四天王寺にお参りしました。松の内も終わり、訪れる人もまばらでしたが、澄み切った青空と冷たい空気の中で背筋が伸びる思いでした。境内の建物は、たび重なる戦火や災害に見舞われ、多くが焼失しましたが、現在の建物は創建当時(飛鳥時代)の様式を忠実に再現しており、古代の建築様式が今に残るのは貴重だとのことです。
また、近年海徳寺で施食会に行っている「水施食」は、この四天王寺の金堂わきの亀の井の水に、故人の法名を書いた経木を流す供養、「経木流し」を参考に改良させていただいたものです。
1月下旬には祖門会の大遠忌準備懇談会に参加するために永平寺東京別院長谷寺に行って参りました。永平寺の建物は老朽化が進み、また近年は雲水(修行僧)の数も激減しており、維持管理が大変難しくなっています。補修が難しく解体せざるを得ない建物も数多くある様ですが、明治以前の様なスッキリとした姿の永平寺の形に戻すということです。
懇談会の前には、関東に住む兄と息子たちに久しぶりに会ってきました。また、息子と一緒に、以前から行きたかった、鎌倉、湘南、江の島、川越などを散策して参りました。大学生の時には東京に住んでいたにもかかわらず、苦学生だったため、ほとんど観光地に行ったことがないので、こういう機会に訪れたかったのですが、予定していても急な法務などで中々実現しなかったのです。寒さもそれほどではなく、良い旅ができました。
|