住職レター 令和6年4月号

 慌ただしく過ぎた3月に続き、4月も予定が目白押しであっという間に過ぎて行きました。我が家の子どもたちのうち、唯一実家に残っていた末っ子の二男がこの春の大学進学を機に、引っ越して行きました。入学準備や引っ越し、入学式のため岡山⇔東京(横浜)間を上旬に二往復することになったのですが、その合間には花祭り法要もありました。例年の様に境内の花で飾った花見堂を作り、誕生仏さまに甘茶をかけていただきました。
 中旬には、岡山の景福寺さまを会場に、第一教区婦人会総会が開催されました。ご住職の法話を聞き、和やかに昼食のお弁当をいただいて、ゆっくりとした時間を過ごさせていただきましたが、例年と違ったのは、今回は「婦人会活動の今後について」の話合いが持たれたことです。曹洞宗婦人会は高齢化が進み、活動自体難しくなってきています。これは婦人会に限ったことではなく、御詠歌(梅花)や地域の婦人会などでも同じ問題を抱えています。第一教区も脱退する寺院婦人会も増え、どこまで続けられるかわかりませんが、婦人会に足を運んで下さる方がいる限りは、残った婦人会で出来る活動をしていこうということになりました。
 4月下旬には、同じ教区の笠岡の威徳寺様のご家族と一緒に能登の總持寺祖院を訪ねました。里山海道路から能登に入ると、道はまだガタつきひび割れが残り、山が崩れ、海岸の岩を隆起していました。潰れたままの建物も多くて目を覆いたくなるような景色が広がっていました。
 總持寺祖院は、前回の能登地震で大きな被害を受けたものの長い年月を掛けて、耐震補強工事を終え、太祖瑩山禅師さまの700遠忌を迎えたところでしたが、今年の地震でまた被害を受けてしまいました。余り被害がないように見える山門は、耐震補強のため、地下に同じくらいの鉄筋が埋まっているのだそうです。境内はまだ水道も通ってなくて拝観不可ですが、威徳寺様のご友人が祖院のお世話をされていて、ご厚意で案内していただきました。当時いた雲水さんたちは、本山の指導の元、すでに帰されたのですが、地震当時は避難所におられて、炊き出しに参加されていたそうです。不幸な中でも貴重な体験が出来たのではないか、後の僧侶人生に役立ててもらいたいと言われていました。
 門前の町の復旧もまだなのに、祖院のことばかり先にすることはできないけれど、住民の方たちからは、お寺を直して早く町を元気にしてほしいという声もあり悩ましいところだそうです。遠く離れた地からは、また早くから活動している青年会の様に若くない身では、未だ支援金くらいしかできませんが、復興のためにできることを考えていきたいと思います。
 翌日は5月に予定をしている壇信徒参拝の下見を兼ねて金沢を観光しました。本来なら祖院に行く予定が変更になってしまいましたが、壇信徒の皆さまと共に参拝出来る日を心待ちにしています。









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