住職レター 令和6年2月号

 2月中旬に、曹洞宗の両大本山、永平寺と總持寺を護持後援するための組織である永平寺系の祖門会と總持寺系の嶽山会の合同研修旅行で沖縄に行ってまいりました。
 沖縄の曹洞宗の歴史は浅く、現在もうるま市にある西有寺別院真栄寺と、沖縄市の観音寺の2寺院しかありません。今回訪れた西有寺別院真栄寺は本土の分院として布教活動につとめ2015年に法人登録をされた沖縄初の曹洞宗寺院です。沖縄のお墓の多くが琉球王国時代から伝わる亀甲墓(カーミナクーバカ)ですが、こちらの寺院では永代供養墓、納骨堂での供養を中心に檀家制度を設けず信心による維持存続を掲げておられました。
 また沖縄といえば太平洋戦争唯一の本土決戦の地であり、米軍基地の島でもあります。平和祈念公園の入り口には不発弾が展示されています。今でも建物の建設前には地中の金属探知が行われるそうです。
 ひめゆり部隊自害の地はよく知られておりますが、アスファルトから砂利道に入り両側の木々を避けながら進むと少し開けた場所に出ます。さらに海岸を歩いて移動していくと自害の地の碑がありました。皆で香を焚いて慰霊の読経をしてきました。沖合を埋め尽くすアメリカ海軍に後ろから迫ってくる陸軍部隊を目にしたその絶望感は計り知れないものがあります。現在の穏やかで美しい海岸の風景の過去にはとてつもない悲劇があったことを忘れてはならないと感じました。
 また、市の1/4を米軍普天間飛行場が占める基地の町、宜野湾市にある米軍普天間基地の返還地の敷地にくい込む形で建設された佐喜眞美術館にも衝撃を受けました。生と死∞苦悩と救済∞人間と戦争≠フテーマからなる3つの展示室からなり、常設展の丸木位里・俊ご夫妻の描いた「沖縄戦の図」は、地上戦である沖縄戦を体験された方々の証言に基づき、その人々がモデルになって描かれたものです。
 また屋上からは海や普天間基地の一角を望むことができ、沖縄戦の組織的戦闘が終結した1945年6月23日、慰霊の日にちなみ、6段と23段でつくられた屋上の階段には、慰霊の日の夕陽が窓に差し込み階段と一直線になります。振り返ると沖縄の人々の日常風景があり、フェンスの内外に亀甲墓があります。
 目をそらしたくなるような作品も多く、苦しい気持ちになるのを押さえることが出来ませんでしたが、この過去の出来事を教訓に僧侶としてできる平和学習を続けて行きたいと心に誓った旅でした。









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