寄稿 「仮字正法眼蔵」


 ―「仮字(けじ)正法眼蔵」を読んで (その十一)―
 (二十九)「ただ急ぎて心性の常住なる旨を了知すべし。いたずらに閑坐して一生を過くさん、なにの待つところかあらん。…いま言うところの見、まったく佛道にあらず、先尼外道が見なり」
 ひとりの修行者が道元さまに「生死の迷いから解脱するには、心性(心の本体)が常住(不変)であるという道理を急いで知ることが大切である…それにもかかわらず、坐禅というものは何の得るものもないのに、閑坐(のんびりとすわる)などして一生を過ごすとは私には理解できませぬ」と、疑問を呈しました。これに対して道元さまは「お前さんがいま言うているところの考え方は、全く佛道というものではない。『先尼外道』の考え方である!」と答えておられます。私たちが、是非、善悪、苦楽などを知るのは、心の本体ともいうべき霊根の働きです。この修行者の問いは「自分の肉体は野辺の灰となっても霊魂だけはこの肉体から抜け出して次の世に生まれ変わる。だから、この世からは亡くなったように見えるけれども、また次の世に生まれ変わるのだから永遠に不滅である…。だからいたずらにのんびりと坐禅をするより『心性の常住』(霊魂の永遠不滅)なる道理を知ることが急務であると思うが如何!」ということです。こうした死後の世界のことをまことしやかに語っておられる人をみますが、果たしてその人は、死んだ自分の身体から魂だけが抜け出したということを体験した上での話なのでしょうか…。たとえ体験上の話であるとしても、その人はすでに死んでいる筈だからこんな話は出来るわけがない…と思うのですがどうでしょうか。とにかく道元さまは、こうした『先尼外道』のような考え方は、馬糞を拾って黄金の宝のように思っている人であり、情けない限りであると歎かれるのです。このように心の本体としての霊魂だけは永遠に不滅で、身体だけが死んで亡くなる、という誤った考えを持つ人に対して、道元さまは続けて次のように説かれるのです。
 (三十)「知るべし、佛法にはもとより身心一如にして、性相不二なり」
 釈尊をはじめとし歴代の祖師方は一貫して「身心一如、性相不二」の道理を説いておられることは、佛教人ならどなたもご存じのことです。万一、霊魂の永遠不滅と説いてこられたとしても、身体と霊魂(心)を区別して、一方は滅して亡くなり、一方は永遠に残るとは絶対に説かれることはない。残るとすれば身心共に残り、滅するときは身心共に滅するというのが佛法の説くところであります。つまり、徹底「「身心一如」で「性相不二」であると言われるのです。「性相不二」の「性」とは存在する物の本質のことで、「相」とは『現相』とも言うていますが、存在するものの姿のことです。ここでは、この身体を「現相」といい、霊魂を本質(本体)と見たのです。ある坐禅会のあと一人の居士が「この身は死んで野辺の煙となり骨だけとなるが、心(霊魂)は不生不滅で永遠に残る…。それはあたかも家が火事で焼けてしもうても、その家の主人は逃げて健在であるようなものだ…」と、得意げに話していました。その話を聞いていたもう一人の居士が「では聞くが、例えばここに一箇の死体が横たえてあるとしよう。これは今では一箇の死体なのではあるが、生前のその人であることには間違いない。この死体を離れてのその人は、今どこに居りますかいなー」と尋ねたら黙ってしまいました。このように身体と心とは考え方の上においては区別することができますが、事実の上では決して切り離すことはできません。畢竟「身心一如」というほかはない…。
 (三十一)「生死すなはち涅槃なりと覚了すべし。いまだ生死のほかに涅槃を談ずることなし」
 「生死」とは、この身が生まれて死ぬということだけでなく、迷いの人生を輪廻することでもあります。道元さまは「この迷いの人生そのまんまが『涅槃』(悟り)の世界であり、『生死』の迷いの人生を除いて悟りの『涅槃』を説くことはない」と申されるのです。だから「悟り」の世界は「いま」「ここに」「斯く在る」「自分」の足元を離れ、向こうにいくら求めても捉えることはできないことになります。わたしのように古稀を過ぎた方から時々聞く言葉に「この年齢になると、若い頃は気にもかけたことがなかった死後の世界のことが心配になりだしましてなー」というのがあります。もちろん無常を感じることは尊いことなのですが、佛教では死後の世界のことは一切説いていませんし、死後の話などは佛法とは本来何の関係もないのです。問題は「いま、ここに、自分」が落ち着いているかどうか…「生死すなはち涅槃なり」と心得て、その場その場で充実しているかどうかなのです。どうしても死後のことが気になるというのは、現在が充実していない証拠でもあります。
 ――返す日を 久に待ちいし この身なり しばし待たれよ 着替えするまで――
 (H11.6月 平林一彦様よりの寄稿)








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