寄稿「白隠禅師」第11号


 ―「白隠禅師坐禅和讃」を読んで (その十一)―
 ―『因果一如の門ひらけ無二無三の道直し』―先号で『直に自性を証』『衆生本来佛』なる真実の自己を体験として徹底自覚したとき、これまでこれが自分だと思い込んでいた今の心(自性)というものは、坐禅して究めてみれば畢竟、春野に立つ陽炎のように無限空華のまことに頼りないものであったと看ました。このことを『自性即ち無性にて…』と詠ってありました。この段では本当にこのように自覚することができたならば、その人の日常の立居振舞いにおいてすでに『因果一如の門』が真一文字に開けていて、本人がそのことに気付いていようがいまいが関係なく『無二無三の道直し』である、と詠われています。『因果』については、「六趣輪廻の因縁」のところで述べましたから、ここでは簡単に触れることにしましょう。私達が今、此処で、こうしている事実(果)は、過去の「因」と「縁」という縦の時間の流れの中に、必然的に現れる<今>の<この事>でしたが、ここでは『坐禅和讃』ですから、坐禅修行の上に『因果』を言うておられるように解します。即ちたびたび述べますように、私達は生まれた時から「衆生本来佛」という『因』(種子)を宿しておりましたが、三才頃から我に目覚めていつの間にか「衆生本来佛」であることを忘れ果て、自分の欲望のままに生きて来た為に迷いの世界に落ちるという『果』を受けたのでした。ある時こうした佛の教えを聴く「縁」を得て「自生即ち無性なり!」と徹見してみれば、修行という「因縁」によって「衆生本来佛」であったのだ…と気付いたのです。『一如』とは、因果について考えているその人の足元に絶対的事実としてある今。「因」とか「果」とかを分けることのできない『無二無三』(絶対一)の道としての今がある…ということです。例えばトマトの種子を蒔いたという「因」に依って、今ここに見事に実った「果」があるとします。その「果」の中には既に次に生ずるべき種子(因)をやどしている。そしてまた種子を蒔く…と永遠に繰り返すことになるのですから、畢竟『一如』というほかはありませぬ。ここの処は「衆生本来佛」としての真実の自己を本当に納得し、その道に生きている人でないと容易に理解でき得ないことだと思います。木下藤吉郎は水呑百姓の家に生を受け、遂に太閤という位まで登り詰めました。ある時、太閤の機嫌の良い時を狙って家臣の一人は「殿下は人生の最高位を極められましたが、さぞかしお心掛けの上にご苦労があったものとご推察申します。つきましては、この私めも殿下にあやかりたいと存じますので、どうかそのご苦労のほどをお聞かせ下さいませ」と平身低頭しました。すると太閤秀吉はおもむろに「わしはなあ、太閤になろうと思うて苦労したことは一度もありやせぬ。ただ足軽の時は足軽としてその役目を一心に勤めておったら、いつの間にか武士に取り立てられていた。そして武士になったらそのお役目のみを専一にやっておったら知らんうちに大名になっておった。また一心不乱に大名としての仕事をしてるうちに、とうとうこうした太閤と呼ばれるようになったまでじゃ」と答えたということです。つまり、足軽として信長公に仕えたという「因」があって、何も求めることなく只自分に与えられた勤めに励んだことにより、遂に太閤秀吉と呼ばれるほどの「果」を得たということです。そして「何も求めず」「即今只今」「自分のやるべきことをやっている」ことが『無二無三の道』でして、そこには「因」と「果」を分ける隙間もありません。この消息を『因果一如の門ひらけ』と詠っておられるように解しています。御存じのように、秀吉が藤吉郎時代に草履を懐に入れて温めたという細かい心づかいに感激した信長がその後大いに取り立て、それをきっかけに太閤の位まで登り詰めたのですが、これも織田信長とめぐり会った好縁があったからのことでしょう。それとは逆に伊達正宗の家来で真壁平四郎は、ある雪見の宴の晩、正宗の下駄に雪がかかって冷えていましたので懐に入れて温めたのですが、正宗はてっきり尻の下に敷いていたものと思い込み、その下駄で平四郎の眉間を割りました。そして間もなく平四郎は正宗のもとから姿を消してしまったのです。それから三十余年の月日が流れ、正宗は米沢から仙台に移り瑞巌寺を造営し、当時名徳の誉れの高い「法心性才」という高僧を迎えることになりました。正宗公は、性才の額に大きな傷跡があるのを不審に思い「大師の額の傷はただのものとは思われませぬが、いかがなさったのですか?」と尋ねました。性才は仕方なく雪見の宴の時の話をしますと、正宗公の全身から冷や汗が流れ、言葉もなくただ平伏すだけでした。性才は「どうぞ頭をお上げ下さい。私こそ殿様にお礼を申し上げなくてはなりませぬ。あの時の因縁がなかったら今日の私はなかったでしょうから…」と、逆に感謝したということです。この二つの因縁話のように、順縁であろうと逆縁であろうと、その人の受取方によって『因果一如の門』を開くことができるかどうかが決まることだと思うのです。
 ―この病の あしたは知らず 若菜摘む―
 (H10.2月 平林一彦様よりの寄稿)
 






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