寄稿「白隠禅師」第4号

 ―「白隠禅師坐禅和讃」を読んで (その四)―
 ―『衆生近きを知らずして、遠く求むる儚さよ。例えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず』―
 弘法大師のお歌に「阿字の子が、阿字のふる里たち出でて、また立ちかえる阿字のふるさと」というのがあります。「阿字」とは無我という意味ですから、ここでは「佛の子」と解した方がよろしいかと思うのです。したがってこのお歌の意味は、佛の子として生を受けた私たちが佛の故郷をはなれて、この五欲六塵の娑婆の世に遊びに出て来て、遊び呆けているうちに佛の子であることも忘れ果ててしもうた。ふと自分は佛の子であったことを思い出し、ふる里の佛の国を恋うて帰って行く…ということになりましょうか。この歌にあるように、佛の子として帰るべきふる里を思い出せる人ならよいのですが、私のようにそのふる里を打ち忘れ、自分中心の習慣を身に付けた者に対して、いきなり「お前は佛の子であるぞ!早々に佛の里に戻って来なされ!」と言われても、ただ戸惑うばかりです。
 前号まではこんな私に対して「お前が今、自分であると誤って認めているその煩悩妄想の肉団子の中に『本来佛』としてのお前のふる里があるのじゃ!迷うことはいらぬ、そのまま真直ぐに帰りなされ!」と示されたのでした。ところが佛としての自分の真価を信ずることのできない私は、いたずらに佛の道を他人に尋ね廻って、自分の中に向かってみようとしないのです。その憐れな様子を見るに忍びず白隠禅師が唱われるのです。「衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。例えば水の中に居て、渇きを叫ぶがが如くなり。長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず…」と。
 昔、世尊が霊山で説法されるために高台に上がられた時、大梵天王という一人の信者が蓮の花を献上しました。世尊はその花を黙ってお受け取りになるや、スーと胸のあたり差し上げて、大衆の目前に示されたまま、黙って大衆を見廻されたのです。
 一方、世尊の説法を今や遅しと待ち構えている処へ、蓮の花一本を示されて黙っておられるものですから、大衆は何のことやらサッパリ分からず、唖然として静まり返っていました。その時大衆の中でその様子を見ていた迦葉尊者(釈尊の高弟)が、無心に睡っている子供が夢でも見ているかのように、ニッコリと微笑んだのです。この迦葉の微笑を見止められた釈尊は「やっと本来佛としての人物が出来上がったワイ」と思われたのか、百万人の大衆の前で、世尊がこれ迄説いてこられた佛法をそっくり迦葉尊者に伝授されたということです。
 この故事の要点は、世尊がいきなり蓮の花を大衆に示された端的にありますが、私達の日常の出来事の一つ一つはこの世尊が突然差し出された蓮の花のように、予期していない処から起こるものです。こうして起こる一つ一つの事実のことを、佛教的に言えば「縁起」ということになりますが、「縁起を見る者は佛を見る」という言葉がありますように、この縁起を除いて佛法は語り得ないものであると言っても過言ではないでしょう。そしてこの縁起という事実は、私達の身の回りで予期できないところで生まれ、そのことが自分の為に良いことであれ悪いことであれ、いつの間にか滅してゆきます。こうした出来事は私達の日常生活そのものであり、その一つ一つを百パーセントこなしてゆく実力を誰でも持ち合わせています。そうでなければ、今こうして生きている自分というものは有り得ないように思うのです。
 このように人間というものは、その時その場の縁に対して本能的に対処することできる実力の持ち主であるようです。このことを心経では「摩訶般若」と言っていますが、何はともあれ私達は恵まれた偉大な存在であることは、今こうして生きている自分の過ぎ越し方を振り返ってみられたら「よくもまあ、ここまで生きて来られたものだ」というような経験を思い出されることによって、お分かり頂けると思います。これだけ素晴らしい実力の持ち主である自分を信じることを忘れた私は、すぐ他人を頼ろうとするのです。白隠禅師はこのような私を励まそうとして「お前を見ておれば、例えば水の中に居ながら、水が欲しいと言っているようなもの。また、大金持ちの子が好き好んで乞食のように銭を拾い歩いているようなものじゃ!『本来佛』としての自己を信じろ!」と自覚を促して下さるのです。
 (H9.7月 平林一彦様よりの寄稿)




前号寄稿一覧次号