寄稿「私が頂いた般若心経」第21号

 ―私が頂いた般若心経(その二十一最終話)―
 「故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提娑婆訶」(故に般若波羅蜜多の呪を説かん。即ち、呪を説いて曰く、羯諦羯諦〜菩提娑婆訶)
 冒頭でも触れましたように、この「般若心経」は観音経(普門品)とともに、私たちにとっては最もポピュラーなお経でして宗派を問わず親しく誦経されております。また写経といえば、まず最初に取り挙げられるのもこの般若心経であることはご承知のとおりです。なぜこのように私たちに感銘を与え、愛され親しまれてきたかについては、その人その人の深い訳がお有りのことでしょうが、私は全文二六二文字という短い文章の中に、人間が人間として生きるべき道すじを分かり易く、しかも身近な処で説き示しているとともに、この二六二文字の一字一字が、この心経の末尾をかざっている「呪」という一字に集約されているところにあると思います。
 ここで観自在菩薩は般若心経を説き終わるに当たり、温かい眼差しを私たちに向けながら、これまで説いてこられた般若波羅蜜多は「呪」(如来の真実の言葉)であることを重ねて断言されました。「この般若波羅蜜多という大船に乗れば、極楽浄土の彼岸に到ること間違いなし。ゆめゆめ疑う事勿れ!そら乗れ乗れ」と船のエンジンを吹かしながら、私たちが乗り込むのを待って下さるのです。そして「即説呪曰」(即ち呪を説いて曰く)とありますように、次のように説き始められるのです。「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提娑婆訶、般若心経」…と。この説示は観音菩薩が摩訶なる般若の智慧を成就された境地から、完全な悟りの智慧がそのまま「呪」であるというておられるのです。ですから、私たち凡夫にはとても歯の立つ言葉ではありません。したがってこの言葉は、訳さないでこのまま棒読みにして、繰り返し唱えた方がよいのではないかと思います。
 そうは言うたものの、触れることのできないものに触れてみたいと思うのが私の悪い癖。危険を承知の上でこの「羯諦羯諦…云々」に迫ってみますと、「羯諦羯諦」は「渡ろう渡ろう」ということ、「波羅羯諦」は、般若波羅蜜多という大船に乗って彼岸(お浄土)に渡ること。そしてこの大船に乗りこんだ人は否応なく彼岸に着く、というのが次の「波羅僧羯諦」であると解しています。僧といえば坊さんのことですが、お釈迦さまが、出家した人だけ浄土に渡ることを許し、在家の人は許さないなどと区別されるわけがありません。したがってこの「僧」というのは、一切の人々を指した言葉であると私は解しています。
 そこでもう一度この「呪」を訳してみますと「渡ろう渡ろう、みんなで渡ろう、般若波羅蜜多の船に乗って…。遂に着いたぞ彼岸の浄土に。こちらの岸は苦の世界、向こうの岸は楽しい世界。こちらの岸は生き死にのある世界、向こうの岸は生き死にのない世界。行こう渡ろう向こうの岸へ…。ところが着いてみれば、向こう岸と思っていた極楽浄土は実はここだった」→「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦」、「これでやっと大安心を頂くことができました」→「菩提娑婆訶般若心経」ということになると思うのです。
 ところで私は、先程から「般若心経の大船」と度々申しましたが、これは般若の智慧を生まれながらに持ち合わせている私たちの様子でして、この般若心経を血となし肉となした佛教者の、その場その場の三昧行のことです。白隠禅師はこの三昧行の様子を「久しぶり雨にどの農家もひと休みして、鋤も納屋の隅に休ましている。嫁はかいがいしく姑に仕え、年老いた舅は孫を抱いてねんねこや、ねんねこや…とやっとる。羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提娑婆訶」と言うておられます。これは般若の智慧から運び出す菩薩としての日常生活ですから、嫁は嫁として、舅は舅として、夫は夫としての心のはからいのない働きそのものであると推察するのです。だからこの世界には、我と彼、あれとこれというような二つに分かれるものはありません。一切の縁に逢うては、自分を忘じてその縁に応じて働きますから、苦にあっても楽にあっても、もだえ苦しむとか、楽しさの余り有頂天になるということはありません。そうは言うもののそれは観念上の言葉のはしくれ…。苦と楽の両境は事実として存在しています。畢竟、苦に在っては苦と共存し、楽に在っては楽と共存しながら、即今只今、自分がやるべきことを無心にやっている姿…。つまりそのことに成り切り三昧の行こそ、菩薩としての真の生き様ではないでしょうか。

― 何もかも おまかせ申して 古希の春 ―

― 置く草の 色に染まりて 玉の露 ― (了)
(H9.3月 平林一彦様よりの寄稿)


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