寄稿「私が頂いた般若心経」第19号

―私が頂いた般若心経(その十九)―
 「三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提」(三世諸仏は般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまう)
 いよいよこの段から、般若の智慧に目覚めた人が「私は釈迦牟尼佛と同じ素質を具えているのだ!」と気が付いてから寝ても覚めても、仕事をしている時も、その佛心を完成すべく精進の日々を送ってきた甲斐あって、ついに「阿耨多羅三藐三菩提」(この上ない正しい法)を体得した人の境地を示しているように思えます。ここに「三世の諸佛」(過去現在未来の諸佛)と区別して、いかにも三つの佛がそれぞれ実在しているように書いていますが、「いま」「ここで」「こうして」憎い!可愛い!欲しい!惜しい!とやっていながら、それに流されることなく自分のやるべきことを着実にこなしているこの生身以外に佛というものは有り得ない…、言い換えれば「自我」を捨てその時その場に随いながら、無心にこの身を他に布施している人の心の中に「三世の諸佛」は住んでいると言ってもよいと思います。この「三世の諸佛」が「阿耨多羅三藐三菩提」という「無上の妙道」を得たという、その「無上の妙道」とはどんなものであるか説明せよ!と私に迫られたとしたら、言葉をもって答えるすべもなく頭をかくほかはないでしょう。もしどうしても答えよというなら「庭先に繋いでいる犬に問うて下さい」と答えるほかはありません。そこで犬は答えるでしょう。「ワンワン!」と。なぜそうなるかと申しますと、「阿耨多羅三藐三菩提」という妙道は、般若の智慧から自然に運び出す無心なる働きですから、いくら叩きのめされたとしても答え得るものではないでしょう。たとえ言葉たくみに言い得たとしても、それは黄葉を指して黄金というようもので「阿耨多羅三藐三菩提」という妙道とは似ても似つかわない偽物といえましょう。畢竟、この妙道に「向かわんと欲すれば即ち失す」と古人が言っているように、他人に問うて分かろうとすればすでにそこにはない…。その逆に夫は夫として妻は妻として、老人は老人として病人は病人として、今やるべきことを無心にやっている足元にその妙道が現れているということでしょう。
 今から十三年前になりましょうか、師匠から「阿耨多羅三藐三菩提の妙法はどこから出てくるのじゃ!」と問い詰められたことがありました。それまでは、分かった知った程度の観念上の独りよがりの世界に遊んでいたように思いますが、苦労の末この問題を解決するに至っての「阿耨多羅三藐三菩提」の道というものは、理屈道理の及ぶところにはないということが納得できたように思います。勿論、納得したという程度の域を出ていない私の境界ですが、それでもこの道を行けばいつかは「阿耨多羅三藐三菩提」という妙法を会得できるだろうという、ひとすじの道が見えてきたように思うのです。しかし、恐らく一生かけても分かることはないでしょう。なぜ分かることはないかと申しますと、先にも申しましたように、この妙法に「向かわんとすれば即ち失す」底の法ですから、分かろう知ろうとすればするほど遠ざかるばかりだからです。どうせ私達の考えの及ばない、箸にも棒にもかからない法なら、無駄な思考を止めて、縁にまかせての生活を送った方がよいと思うのです。そこで私は十三年前から、自分自身に日常生活のきまりを課して、余程の理由が無い限り守り続けております。恥を忍んでその一部をご紹介しますと…
 朝四時半起床。新聞に目を通しまして五時から約一時間半ばかり散歩。朝食を済ませまして七時半ころから、線香1本が消えるまで坐禅、そのあと茶を頂きます。それから十一時まで雑用、読書。十一時から十二時まで散歩。昼食の後、師匠のアドバイスもあって一時間半ばかり昼寝。その後読書、雑用をやりまして四時から一時間の散歩。夕食(六時)まで読書、雑用。八時半頃就寝。
 以上は在り来たりのスケジュールですが、このスケジュールをたてた頃は身内に抱えた一病と怠け心との闘いの連続でしたが、今では身体が自然にそのように動いているようです。そしてこのスケジュールに狂いがあると、何か忘れ物をしたような変な気持がするのです。こうして、ともすれば我儘勝手にふるまおうとする心を押さえ込んで、今私がやるべきことを着実に、しかも無心にこなし得たならば、そこに「阿耨多羅三藐三菩提」の道が、自然に現れるのではないかと思いながら、今もって頑固に続けています。
 「阿耨多羅三藐三菩提の佛たち 我が住む庵に 冥助あれかし」と…。
 (H9.1月 平林一彦様よりの寄稿、その二十に続きます)

前号寄稿一覧次号