寄稿「私が頂いた般若心経」第7号

―私が頂いた般若心経(その七)―
 今回は、「行深般若波羅蜜多時」、訓読して“観自在菩薩が「深般若波羅蜜多」を行ずる時”となります。ここで殊更に「深般若」と「深」の一文字を冠したかといいますと、世間一般に云う知恵と菩薩の知恵とは根本的に違っているからです。私達が普段思っている知恵は、学校とか書物とかテレビなど、他から得た知識でして、自分勝手にどうにでも変えることのできるものです。これを浅い知恵…つまり浅般若といいます。これに対して菩薩の般若の知恵は、題号に「摩訶般若」とありましたように、生まれた時から誰もが持ち合わせている、我他・彼此・是非善悪・有無など分け隔てをすることを全く知らない絶対的な知恵でして、これを「深般若」と云うたのです。
次の「波羅蜜多を行ずる時」とは、般若の知恵から自然に運び出る働きでして、自分のことは念頭になく、ただ、人の為のみを思って精進しているこの菩薩の、その時その場における生活の様子です。こういうことを申しますと、“人のことばかり考えておっては、自分の生活ができんじゃないか?”と思われる人もあるかもしれませんが、ご心配は全くいりません。なぜなら、誰しもが何気なくやっていることだからです。
 十一月に入って間もない朝五時半頃、私はいつもの様に犬を連れて散歩に出かけました。しばらく行きますと、溝に前輪が落ちた自動車を呆然と見ながら、立ちすくんでいる若い女性の姿が、ライトに浮かんで見えました。とにかく何とか手を尽くしてみようということでやってみましたがどうにもなりません。そのうちに一人二人と手伝いに来られて三十分後に道に戻したのですが、皆さんは泥まみれになった手足を洗おうともせずに、よかったよかったと自分のことのように喜んだのです。その笑顔の清々しさこそ、まさに菩薩心のあらわれだと思うのです。
 これは一例ですが、私達が生活する上においては、お互いに助け合わなければならないように出来上がっていて、自分中心の考えだけの生活は出来ない仕組みになっているのではないでしょうか?
 趙州和尚が住んでおられた街に、中国三大橋の一つに数えられる石橋がありました。その趙州の処に修行者がやって来て「いかなるか是れ石橋!」と問答を吹っ掛けて来ました。これは石橋のことを問うたのではなく、菩薩としての趙州の心を問うたのです。そこで趙州和尚は「驢を渡し馬を渡す…」、(わしの処の橋はな、馬でも猫でも大臣でも乞食でも、何でもかんでも渡す橋じゃ。遠慮はいらぬ、さあ通れさあ通れ…)と答えておられます。
 つまり、菩薩の心というものは、丸木橋のように自分だけが渡るといった小さな代物ではなく、馬でも牛でも一切のものを渡し渡してなお余り有る、例えば…この石橋のようなものであると云われたことになります。石橋といえば、驢尿馬糞にまみれながらも代償を求めず、常に他を渡すことのみを自分の仕事として、終に自分は渡ることはありません。これが「般若」の知恵という本来の自分の姿に目覚め、更にその完成を目指して修行した人の日常生活の様子であり、これが取りも直さず「深般若波羅蜜多を行ずる時」の菩薩といわれる人であると思うのです。
 この様な広大な人物になることは至難な仕事です。しかし受け難き人間としてこの世に生を亨け、こうした遇い難き佛の教えに逢うことのできた私達は、この佛の教えを見詰めながら、その時その場の足元にある佛道に悔いのないよう精進しなければならんと思うのです。

――佛の道 たずねたずねて ゆくうちに
                  己れが心に 突き当りたる――

(H8.1月 平林一彦様よりの寄稿、第8号につづきます)


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