寄稿「私が頂いた般若心経」第4号

―私が頂いた般若心経(その四)―

 前号までで、私たちは、大宇宙の移り変わりと一つになって今こうして生きている存在であり、その大宇宙のルールに従って生きてゆく智慧の持ち主であることを知りましたが、「ウン分かった。」では単なる知識にすぎず、何の役にもたちません。
 そこでこの「般若」の知慧を日常の生活で一歩一歩確実に用い、大自然の摂理に背かぬ様に生きてゆくことが大切です。
 これが本号の問題である「波羅密多」の四文字なのです。
 「波羅密多」とは、訳して到彼岸(彼岸に到る)ということだそうです。つまり生死の迷いの此の岸から、仏さまが住んでおられるという彼の岸に往くということになりますが、一体彼の岸はどこにあるというのでしょうか?
 白隠禅師はその在り場所を“近きに在り、脚下を看よ”と申されていますが、近いと言えばこれ程近いものはない…分からないというのは只だ、此岸も彼岸も一切を包み込んでいる宇宙大の自己を見失っているだけ…、だから今此処でこうしている自分の処を探し廻ってみても、この彼岸を見付けることはできない訳です。
 結局彼岸の在り場所は、ある日何かの縁によって、“あっそうか!”と、確かに気付かせて頂く世界であると思うのです。だからどうしても、今、此処で、何気なくこうしている足元に在るということでなければなりません。
 この様に頂いてみますと、「波羅密多」と唱えられている彼岸は向こうに渡るということではなく、この身このまんまがすでに佛国土の中に救われているということになります。
 数年前、知人の奥様が心臓病で亡くなられました。生前の奥様は座禅聞法などにご熱心な方で国泰寺や佛通寺の座禅会には必ずといって良いほど参加されていました。
 その奥様がお亡くなりになる三日前、病院にお見舞いした時のことです。私が挨拶しようとするとそれを遮るように、「私に慰めの言葉は要らないのよ。皆さんは私を見て同情の言葉を掛けて下さるけど、私は何ともないの。苦しいのは苦しいけれどもね…、だって今私が寝ているこのベッドの上は、お釈迦さまご説法の特等席ですもの…。」と、途切れ途切れにお話になった言葉が今も耳を離れません。
 この時の奥様の境涯に、私ごとき者が言葉をはさむ資格はありませんが、あえて迫るとするならば、“この苦しさこそ釈迦牟尼佛のご説法”とそのまんま頂かれたのではないでしょうか。
 そして自ら彼岸の上に立って凡夫だらだらの私に、身をもって生きた説法をして下さったのだと思うのです。
 くどいようですが私たち佛教人は、生まれた時から天地一杯の佛の命、つまり摩訶なる般若の智慧を頂いております。
 そのお蔭で今こうして生きていると気が付いたとき、誰しもが思わず合掌せずにはおれないのではないでしょうか。
 この合掌の人こそまさに「波羅密多」という佛国土に住む資格のある到彼岸の人であると思うのです。

(H7.10月 平林一彦様よりの寄稿、第5号につづきます)

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