寄稿「私が頂いた般若心経」第1号

 『般若心経』といえば、私達仏教信者は勿論のこと、他の宗派の方でも親しく誦経されている国民的なお経であることはご承知のとおりです。
 この経題の正しい呼名は『般若波羅蜜多心経』ですが、この教えの内容があまりにも偉大であり勝れているところから『摩詞』の二字を冠して誦んでいるのが一般であります。
 この二百七十余文字を普通の速さで読経して三分位、一字一字を味わいながらゆっくり読みましても五分位ですから僅かな時間で教えの功徳を受けることができるということも皆さんに親しまれている理由の一つかも知れません。
 この般若心経(以下心経に略します)は、一般ではお釈迦さまがお説きになったものと思っておられる方が多いようですが、これは観音という菩薩さまが、舎利佛多羅(しゃりほったら 略して舎利子)という佛十大弟子の一人に説かれたものとされています。
 従って『如是我聞(にょぜがもん)』(釈迦の説法を是のように聞いた)とか、『佛説』などという序文はなく、冒頭から『観自大菩薩』(真理を見抜かれる観世音菩薩)と説きはじめ『舎利子』という言葉が所々に出てきます。
 この経典は、お釈迦さまが入滅された四〜五百年後に創作されたものとされていますが、今日一般に私達が誦んでいる心経は鳩摩羅什(くまらじゅう)という仏教学者が翻訳したものであると言われています。  以上のように、観世音菩薩が舎利子に説かれた真理を本文二百六十二文字、全文二百七十余文字という短い文章で、しかも理路整然と分り易く説かれており、六百巻もあるという『大般若波羅蜜多経』も要約すれば、この三百文字にも満たない心経の中に包まれてしまうと申してもよいでしょう。
 ところで、この有り難いお経も、説かれている意味のみを知ったからといって何の役にも立ちません。
 むしろ、内容はわからなくても、朝夕の勤経を欠かさず勤めて居る処に般若心経の真意が自然に現れていて、その人の生き方の道が知らず知らずのうちにそこにあると申しても過言ではないと思うのです。
とは申しましても、その意味を知り尽くした上でお勤めするに越したことはないのは申すまでもないことです。
 私がある写経の会の座談会に出席させて頂いた時のことです。ある中年のご婦人の方が 「私は何とかして心経に説かれている意味を理解したいと思いまして、仏教書を読んだり、法話を聞いたりしましたが、理解できるどころかますますわからなくなりました。それでさじを投げたというか、諦めましてこの写経の会に入会させていただいたのです。あれから三年にもなり、写経枚数も千枚近くなりましたが、今もって心経の意味がわかりません。でもわからないままに一字一字を写経していますと、いつの間にか自分というものが無くなってしまう時があるのです。その時がとても幸福に思えてくるのです。」
と、恥ずかしそうに話されました。私はそのお話を聞いて、心を洗われたような気持になると同時に、このご婦人は分からぬ分からぬと言われながら、すでに心経を実践されておられるお方だと思わず心の中で合掌したものでした。
 ここの海徳寺でも、観音日近くになりますと保存会の方々が参道の清掃をされたり、当日になりますと、お接待などの奉仕活動をされていますが、私の眼には観音さまの行として映るのです。
 このように私達日常の生活の中で、今やるべきことを何気なく、無心にやっている行動そのことが般若心経の真意にかない、またそのことが観音菩薩行ともいえるのではないでしょうか。

(H7.7月 平林一彦様よりの寄稿、第2号につづきます)

※注、本文にあります観音日は現在行っておりません。

      寄稿一覧第2号