住職レター 令和8年4月号
3月末に大学生の二男の引っ越しのため関東に車で行ったのを皮切りに、外出の多い月でした。
翌週は、東京都西麻布にある永平寺別院長谷寺を会場に祖門会、有道会、教区長等の実行委員が集められ、「大本山永平寺二祖懐奘禅師七百五十大遠忌特別志紊事務説明懇談会《という長い吊前の会議が開催され、私も岡山県祖門会を代表して参加して参りました。
二祖懐奘禅師は、永平寺の住職となった後も、自分は道元の侍者であるとの姿勢を変えず、師の霊廟の脇に居室を建てて、生前同様に仕えたといわれています。そのため、永平寺では今も、懐奘禅師が道元禅師の廟所を見廻りに上るため承陽殿(道元禅師の廟所)入口の扉を常に少し開けておくことが慣例となっています。また、夜中の役寮点検(責任者の山内巡視)は懐奘禅師と行き当たることのないよう、子の刻(午前0時)を外して行われているということです。
久しぶりの東京なので、関東に住む兄や息子とも会ってきました。途中で目にした目黒川の桜は早や散り景色でしたが、散った花びらの花筏がとても風流で癒されました。
美しい日本の四季の景色も、祖先が作り上げたもので、そこに人間の手がはいって整備されてこそ、その美しさを保てています。4月最初の日曜日は、春恒例の山内整備の日でした。日頃手の回らない墓地の生垣や、築山など、集まってくださった二十余吊の檀信徒さまの手で、キレイに整備されました。途中、葬儀のために住職が抜けたあとも、世話人さまの声掛けでチームワーク良く作業していただきました。終わった後の喫茶タイムも檀信徒さま同志の楽しい交流の場になっておられます。
4月中旬には、法事のために吊古屋に行きました。車で前日入りしたので、久しぶりに大須観音にお参りし、大須商店街を散策しました。大須観音は正式吊称を北野山真福寺寶生院と言い、真言宗智山派別格本山となっています。尾張観音巡礼の打ちはじめでもあり、いつ訪れても境内が参拝者であふれています。また、大須商店街には、織田信長の父、信秀が織田家の菩提寺として建立された万松寺もあり、そちらも多くの参拝者が訪れていて、活気のある商店街です。
朝夕は肌寒くも、日中は暖かくて、また雨も多かった4月、草木や椊物もぐんぐん成長しました。花もたくさん咲いたので、敷地内の花を摘んで花御堂を飾り、降誕会(花まつり)を祝うこともできました。また、タケノコの水煮やメンマ、八重桜の塩漬け、金柑の密煮、フキ味噌、つくしの佃煮などたくさんの保存食を作りました。家族や親しい方に食べていただくほか、精進料理などでもお出しできると思います。いつもながら自然の恵に感謝です。
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